由緒ある島やっでぇ〜な〜!! しっかい勉強してな〜!!
歴    史    概    要

769年

・甑島の小王、正六位上の甑隼人麻比古が、外従五位下に叙せられる。(続日本紀)

778年

・第14次遣唐船が帰り暴風にあい、第1船・第4船が甑島に漂着する。(続日本紀)

849年

・川内新田八幡の祠官宮里壱岐が分霊を奉じ、里に八幡神社を創建する。(三国名勝図会)

927年

・薩摩国13郡の中に甑島郡の名前の表記がある。(薩摩国正税帳)

1060年

・この年完成の中国の史書に
 「邪古:やこ(屋久島)」、波邪:はや(隼王:甑島)、多仁:たに(種子島)の三王有り」の表記がある。

1185年

・九州の各地に平家の武者が落ち、甑島にも渡来して源氏の追討を逃れる。
・この頃、平氏の一族、従五位左将監藤原実顕が来島して塩田蔵人と称する。

1197年

・この頃、甑島は上村・下村に分かれ、上村の本地頭は在庁の道友、下村の本地頭は薬師丸で、
 それぞれ上村20町、下村20町を支配する。

1200年

・駿河の狐崎に敗れた梶原源太景季の一族が甑島に落ち、上甑の中野に潜んで追討を逃れた。

1221年

・承久の変が起きて、戦功があった鎌倉方の小川太郎季能に、幕府は、肥後国益城郡の一部と薩摩国甑島を与える。後に、その子小太郎季直が上甑島市之浦に上陸し、先住の武士団と市山に戦って勝ち、亀鶴城にはいって甑島を領有する。

1293年

・蒙古襲来に備えて築造した博多湾の石塁のうち、甑島築造分が一部破損する。

1301年

・元の軍船200隻ほどが甑島近海に現れ、うち1隻が近接したと言われています。

1337年

・甑島地頭小川小三郎ら足利尊氏方が南朝方の市来時家を院内赤坂に夜襲する。

1348年

・この頃、四条畷に敗れた楠木正行の残党が甑島へ落ち、上甑の金吾山に砦を構えた。

1467年

・西国の諸将が朝鮮に使者を派遣する。朝鮮の史書に、
 「この年、古志岐島代官:藤原忠満が使者を遣わした」との表記があります。

1523年

・小川伊勢守、手打の八幡新田宮を修造する。

1570年

・島津貴久の三州(薩摩・大隅・日向)統一に当たり、小川氏、甑島を安堵される。

1595年

・この頃、小川越中守中務が田布施の高橋に移封され、曽木甚右衛門・酒匂兵右衛門が甑島代官として派遣される。

1602年

・島津氏が派遣した船長:喜左右衛門と共に、マニラのドミニコ会の教父一行が甑島に来航、
 一時この地を根拠地として布教活動をしました。

1609年

・大炊御門中将藤原頼国と中御門少将松木宗隆が、猪熊侍従事件に連座して硫黄島に配流となったが、
 後に甑島へ移されました。

1611年

・本田伊賀守親政が甑島の地頭(移地頭)として島津氏から派遣される。

1642年

・マニラ耶蘇会学林長ルビノ神父らが下甑の手打(大串)で捕らえられ、長崎に送られる。
(この数年前、家老島津久愛から甑島地頭宛に外国船取締強化の令達があった。)

1647年

・この頃の甑島の知行高は、約2800石でした。

1652年

・藩主:島津光久が甑島を巡視する。島民は、民謡「御縁節」で歓迎する。

1664年

・鹿島の鹿島神社が再建される。

1694年

・島津綱貴・吉貴を本願として、中甑の六王大明神の宝殿を再興する。

1710年

・幕府巡見使が薩摩藩内を巡視する。
 この頃、甑島には、津口番所・遠見番所各三ヶ所が設けられ、また藩の牧場も二ヶ所ありました。

1780年

・里の塩田甚太夫が鞍馬楊心流を島に伝えました。

1787年

・飢饉の為に島外への移住が行われました。

1788年

・青瀬に初めてマグロ大敷網を入れる。

1835年

・天保の法難。下甑の長浜が一向宗法難崩れのために、1村を焼き払われる。

1862年

・文久の法難。上甑の本福寺に取調所を設けて、島内の一向宗門徒多数を拷問にかけました。

1869年

・明治維新の翌年、上甑島は、里・中甑・中野・江石・平良・小島・瀬上・桑之浦の八ヶ村、下甑島は、手打・片之浦・瀬々野浦・青瀬・長浜・藺牟田の六ヶ村に分かれ、各村に戸長役場を設けました。

1886年

・三年連続の大台風の為に全島飢饉。県の移民計画により、国庫の補助を受けて種子島やその他の地区に大量に移住する。

1889年

・町村制実施により、上甑村・下甑村の2村となる。

1891年

・上甑村より里が分村独立し、里村となる。

1895年

・川内〜甑島間に航路が開通する。(1886年 長崎〜甑島航路開通、後に廃止)

1896年

・下甑の手打に釣掛崎灯台が設置される。

1897年

・郡制改革により、高城郡・南伊佐郡・甑島郡・薩摩郡の四郡が合併し、薩摩郡となる。

1898年

・手打のさんご採取が開始される。

1903年

・鹿の子百合の仲買人共同販売輸出組合を組織し、横浜に直接輸送する。

1926年

・甑島自生の大ヘゴが「ヘゴ自生地北限地帯」として国の天然記念物に指定される。

1930年

・薩摩電気株式会社が上甑に送電を開始する。下甑は、翌年から送電開始。

1945年

・釣掛崎灯台・各村の国民学校・防空監視所その他が、アメリカ軍の銃爆撃で大被害を受ける。
 この年、枕崎台風で農作物が全滅し、飢饉は翌年まで続いた。

1949年

・下甑村から藺牟田が分村独立し、鹿島村となる。

1951年

・ルース台風により、強風と高潮のため、全島大被害を受ける。

1954年

・下甑にアメリカ軍のレーダーサイト(電探基地)ができる。(1958年に航空自衛隊に移管)
2004年 ・10月16日薩摩川内市に統合合併!!…『村』から『町』へ