雑学あれこれ…(2)!!
名古屋名物『きしめん』の語源は、?
 ・今、愛知万博が開催されている名古屋ですが、名古屋と言えば名物は『金のシャチホコ』と『きしめん』です。
  語源は、シャチホコ=鯱で魚の形からきていますが、では『きしめん』は???
  平べったい麺でおなじみの『きしめん』、漢字では
『棊子麺』と書きます。
  『棊(き・ご)』とは『碁(ご)』と同じで『棊子(きし)』とは、『碁石』のことです。きしめんと碁石、
  つながりがないようにですが、実はきしめんのもともとの姿を表した名前なんです。
  きしめんは、今では平打ちの長い麺ですが、もとの断面は丸い碁石のような形をしていました。
  水で練った小麦粉を薄く伸ばして輪切りにした竹を押し付けて丸く抜いていました。
  それを茹でて、きなこのようなモノをふりかけて食べていたのです。
  それが今のような細長い麺に変わったのは、江戸時代のことですが、
  名前だけは“碁石時代”のままに“棊子麺(きしめん)”と言ったのです。

 ※『きなこ』とは、“黄な粉”は大豆を炒って挽いて粉にしたモノです。
うどんは、いつごろ生まれたの?
 ・うどんの原型は中国のもので広い意味で麺類として奈良時代に伝わってきました。
  現在のモノとは違い、全て小麦粉をこねて形を整え、煮たり焼いたりして『唐菓子』と呼ばれていました。
  その中のモノがヒントになって、今の麺類がうまれたのだといわれています。
  いわゆる乾麺と呼ばれる“干しうどん”に近いモノで中国で『索餅(さくべい)』、日本で『麦索(むぎなわ)』と呼ばれ、
  太く伸ばした索(なわ)のようになったものでした。

  麦索(むぎなわ)は、普及していく間に、現在の“うどん”や“そば”ように、こねた小麦粉を平たく伸ばして切る方法と、
  “素麺(そうめん)”のように、油をつけた手で引き伸ばす方法とに分かれいったのです。
  切って作る麦索は、“切麦”とよばれるようになりました。そして、
  熱くして食べるモノを“熱麦”、冷やして食べるモノを“冷麦(ひやむぎ)”となりました。
  今では“冷麦”の名前だけが、当時の言葉として残っています。
引越しソバの習慣は、どうしてできたんでしょう?
 ・引越ししたら、“お近づきのしるしに”とか言って、よく引越しソバを食べますが、どうしてでしょう。
  なぜ“人間関係”をうまくしようとするために『ソバ』が選ばれたと言うと、
  『ソバはお金を集めるので縁起がいいものだから』なのです。
  ソバとお金、全然関係ないようにみえますが、昔は金(きん)を扱う職人にとって、そばは隠れた大切な小道具だったのです。
  と言うのは、ソバは“ソバガキ”といってソバ粉に熱湯を加えて練って食べていました。
  今のようなツルツルした麺ではなく、“ソバガキ”は餅のように粘りけがあったのです。
  金細工職人の人達は、この“粘着性”を利用して飛び散った“金箔”を集めて、
  その金の粉がついたソバを丸めて焼いて残った金を集めていました。
  こうしたことから、『ソバは、お金を集める縁起物』とされたのと、語呂合わせで
  『細く長く、いつまでもあなたのおソバにおいておつきあい下さい』とか、『円(縁)をつなぐ』などの
  意味がつけくわえられていったものだとされています。
醤油の薄口・濃い口は、どうしてあるの??
 ・これは味覚や好みもありますが、地域性から必然的に生まれた違いなのです。
  例えば、
  『溜(たまり)しょうゆ』:(大豆を炒って黒みをつけながら濃くしぼった醤油)や、
  塩分と黒みの強い“濃い口しょうゆ”は、山の多い中部地方や信州地方に名産が多く生まれてました。
  これは昔は、山地地方では塩が途絶えてしまう可能性があるので、塩分不足を補うために濃い塩分の
  ミソや醤油を作って日頃からの食塩保存法としていたのです。
  これに反して、関西の方では、瀬戸内海や若狭湾などでいろいろな海産物が豊富に手に入ったので、
  普通に海産物を食べるだけで必要な塩分をたっぷり摂取できたわけです。あらためて味噌や醤油から塩分をとる必要もなく、
  貯蔵しておく必要もなかったのです。逆に、多くの塩分を取り過ぎないように、かえって、塩分を少なくして、
  薄い味の醤油を作って好んで使用しました。